昭和42年12月9日 朝の御理解
今日は、市内・・・?の御本部参拝がございました。報徳祭が行なわれた。報徳祭という御大祭、お祭はもともと九州のお祭といわれております。小倉の初代桂松平先生が二代金光様四神金光様の御神命によって九州に道を開かれた。布教に出られるにあたって四神様に、その事をお伺いになると九州に下れと、九州はどこの地に参りましょうかと、門司の向うに何とかという町がある。門司の向うは小倉でございます。当時は小倉という小さい漁師町であった。金光様、お言葉でございますけども小倉という所は、それこそ小さい漁師町にすぎません。その小さい漁師町を、福神を御供して、福神とは福の神と書く、福神を御供して繁盛の町にするのぞとおっしゃったという事でございますね。御神命に報じられて、そして初めて渡られた九州の土地にみえられております。そして九州の地、それこそ様々な難儀苦労の中に九州にいよいよ道が開ける事になります。そして福岡又は、久留米甘木というた様に大徳の先生方が次々と輩出される。お弟子さん方の中に偉い先生方が沢山でけられて九州中どころか、当時は支那、朝鮮満州ハワイ、アメリカ当たりまでも、その道が伝わっていった訳です。桂先生の神願の中に願われておられる事の中に、どうぞこの有難いお道の信心を世界各国の隅々まで布教がでけますようにというのが桂松平先生の一生に願いであったと受け賜わっております。本当に桂松平先生あって私共がこうしておかげを頂ける事になり、桂先生としても四神様あって九州に道が開かれたのでございます。
当時、四神様と九州の道に、切っても切れないご縁が深い訳でございますが、その中にこういうお話が残っとります。金光教のお家騒動と言われて大変管長派とその当時三代金光様、三代金光様派とでも申しましょうかね、そういう派閥がありましてねえ、大変、その難しい時代がございました。生神金光大神様、生神四神貫之君神様というて、九州の者は金光様と唱える時には四神金光様と称えたものです。そこで本部から四神様という事は称える事はならぬと御布令が出たんですね。その時に、時の長官ですかね、言わば偉い先生方が何人か九州に見えられましたね、教祖生神金光大神は唱えなければならんけれども四神金光という事は称えてはならないという様な達しをもって見えられたんですね。時には、すでに松平先生はお国替えになっておられませんでしたが、奥様、所謂大奥様ですね、当時の小倉から、本部から見えた先生におっしゃられた。あなた方は本部からお使い下さったけれども、ここは桂松平の御広前と心得ておいでられたのでございますか、とおっしゃったそうです。ここ小倉の御広前、桂松平の御広前と心得てお出でられましたか。ねえ、桂松平は四神様あって、桂松平でございます。四神金光様あって九州の道の者でございます。誰が何と申しましても四神様をお称えせんという訳にはまいりません。というてから一辺ではねつけられたという訳です。という程に四神様とは切っても切れない深いご縁があるのでございます。「 」でなから申しますと、その四神様そすと?先年お隠れになりました三代金光様七十年間、十四の年から八十四才の御老齢に至られる迄、御結界ご奉仕一筋に私共の為におかげを下さった。三代金光様、そのいうならばお二方のお祭、報徳祭という本部では色々偉い先生方の神霊も一緒にお参りするお祭になりましたけれども、もとを言えば小倉の桂先生が、その四神様の大徳に報いる為にね、どうしても教祖の神様の十月十日のお祭がある様に四神様のお祭があってもよいのだというので始められたのが元々報徳祭の始まり。途中尾道でしたかね、どっかに下車されました。そこで神饌の所謂お供え物を整えられて、それこそ桧作りの箱を沢山用意されましてねえ、それに神饌ものを詰められて、おかがみはわざわざ久留米、九州のものが殆ど久留米からだったそうですが、あちらでお鏡付きなんかなさって、そして御本部のお偉い先生方にお願いになってからお祭、四神様のお祭を奉仕されたのが始まりと言われております。その桂先生の御意志ね、この有難いお道を世界万国に広めんという、それこそすさまじい勢いをもって、そのお道の布教にあたられた。しかも四神金光様のお徳を輝かさんと九州、それこそここに「 」様な御修業を下さって久留米の九州の信心がございます。それに最近では九州のお祭やら、という自覚というものが段々無くなってまいりました。と大祭というのに久留米に十何ヵ所の教会がございますのに五十何名という寂しい事になりました。
ねえ、昔は団体の言わば列車が出ておりましたのですけれども現在では、そのような寂しい事になっておる。私、今度の御本部参拝、本当に「 」参んなさいというて進めも何もせんのに四十何名でけたんですねえ。御本部参拝は、ですから、その合楽を含めて五十何名ですから「 」といったような具合なんです。その事を今月霊様にお礼を申させてもらいました。これで済んだとは思いませんけれども、あなたの御意志というものはねえ、あなたの御意志のあなたの思いの万分の一でもこうやってはからして頂くという事が有難い事でございます。どうぞ、どうぞあなたの御意志がいよいよ合楽教会の上に現れます様に、本当に少なくとも合楽教会から団体列車の一本位出らして頂く位のおかげを頂きたいもんだと、私はお礼を申すと同時にお願いさして頂きましたら、まあ分かりやすい言葉で申しますと、こういう事を頂きます。
皆はね、その事を対岸の光と思うておると、あの対岸の火事と川向うの火事、まるきり自分の事と思うとらん。ほう火事が焼けよるばいなあちいうてから川向うから見ておるようなもの、もうこっちに移る心配はないですからねえ、川向うの火事を見る様な、向うにそういう光があっても、その光をまるきり対岸の光の様に思うておる。これは、もう各々が自分の光となるのです。ねえ、そういう願いという事は自分自身の光なのだ。桂先生の御意志というものは本当に尊重する。生易しい言葉じゃないですねえ、その本当に意志を、本当に奉載して私共は九州の道の者としての、そういう初代先覚の先生方の御意志を私共継承して受け継いで、ねえ、どうでもこうでもそういうおかげが頂きたい、そういう御用がさして頂きたいという、そのそれが光にならないはずがない。対岸の光ではない、自分自身の光になるおかげを頂かにゃいけん。人ごとんごと思とる、よそのごと思とる。これでは光ができるはずがない。各々の光、いわば世界万国、この有難いお道を広めんと言われる桂先生が、そういう偉大な志というものをです、私共が受けるというとどういう事になりますでしょうかねえ。十人にこの光を輝かす、百人にこの光を輝かす、千人万人にこの光を輝かす。結局、私自身がそういう大きな光を頂かなければ輝かす事は出来ないでしょうが。これを世界万国に広げる為には、いよいよ大きな光を頂かなければ、ただ言うておるだけじゃつまりません。自分自身が光を頂かなければ、なら桂先生の御意志に添う事は出来ないのでございます。そこでお互い自身がね、光を頂く事の為の信心の修業が本気でなさらなければならんという事を一つ根底として、その事を一つの根底として信心に取り組まねばならんのですね。
昨日午後からでした、私控えに控えとりましたら、ある熱心な一家を上げての信心をなさっておられるお婆ちゃんが参ってみえましてねえ、先生今日はお伺いに上がりました。「 」本当に、昨日私失敗致しました。本当に心を汚しました。けども、今にハアー自分が悪い自分が悪いと思いながら、どういう風に悪いのか、どうも心がさっぱりしませんのです。御理解を頂かなければ「 」実はもう本当に自他共に、それは私と嫁の仲というのは、もう娘達も幾人もおりますけども、もう娘以上でございます。私と嫁の仲はそういう風に見てくれ思ってくれ、私もそういう風に思うとるのでございますけども、昨日ばっかりは、この人にもこういう一面があるじゃろうかと思うて心が暗うなったと、こう言うのである。というのは、そのお孫さんが三人おりますが二番目の娘さんが体が少し弱いから毎日薬草ねえ、薬草とかなんかありましょうが。あれを取ってやりよる訳です。ところが一番下の息子がしやっちでん、姉ちゃんがつを取って飲んでしまう訳です。それで、その昨日はお婆ちゃんがね、あんたは、もうとても元気だからねえ、姉ちゃんにこれはやらにゃ、姉ちゃんはあんなに体が弱いのだから、あんた飲んじゃあいけんと言うたばってん、その飲みたいもん飲みたいもんと言うてから結局、その、それを先生嫁はそれを見とるとでございますよ。と、それに私がこげん言よりますとに、どーん言わんとですもん。私は、腹ん立って腹ん立ってしよんなかったとこういう訳です。ねえ、お婆ちゃんがあげん言よなはるけん、あんたはいかん。それはお姉ちゃんのんじゃけんいけん。一口ほんなら嫁が側で言ってくれりゃいいとですけど。私はそげん言いよるとを、もう側におってから、何とも申しません、とこう言う。もうこの人には、こげな一面があったじゃろうかと思うてから、その今まで、まあよか嫁「 」そりゃどこの嫁よりも一番、その私はよい嫁と思うており、又可愛いい嫁でございますけども、その一面を覗いた時に本当に嫌な嫌な感じが致しましたと。その気持がハアー自分が悪いと思いながらもどこが悪いのか、どうしてこんな心になり、それこそ最近そういう気持に初めてなったという訳なんですねえ。
私は、そげんにどういう風に答えていいか分からなかった。そりゃ人間やけん、そげなこつもあります。なかなかやっぱり虫のおりどころが悪かったんでしょうと、ま、そういう風にしか言いようがない。それで私は神様に、その事をお願いさして頂きましたらねえ、御心眼に頂きます事は「 」ですね。もうはちまもりしとった。ねえ、あのお水取り、今年が旱魃だったでしょう。それでその水が無い為あげてある。次にあのお宮さんなんかの玉垣がありましょうが。玉垣のつなぎに金棒がずーっと入っとるでしょう。あの玉垣の金棒を抜いてあるところを頂くんですねえ。面白い、言わばお知らせなんですね。どういう事だろうかと思うて、又その御理解を頂きました。そしてハハアー成程、こういう時にはこういう風な在り方、もう一時が万事この生き方でいけば心に光が頂けるなあと私は思うたんです、力が頂けるなあと思うたんです。これは先日総代会の時に久しぶりに頂いた話なんですけども、ここの今度は大変豊作でした。ねえ、久富繁雄さん当たりが九丁半、ねえ「 」筑後川添いというのは案外少なかったですねえ、水がよくかかって。ところが浮羽の方の旱魃がひどかった所はですね、高芝さんの話なんですけども十三俵平均ねえ、もう本当に枯死寸前、も今夜雨が無かったら枯れてしまうところまで、ところがです、そういう所のほど実が多い。私は、ここんところをです、教祖の神様は人間は万物の霊長であるが万物を見て道理に合う信心をせよ。万物を見て道理に合う信心、ハアー成程これは稲だけではありますまいけれどもです、もうそりゃ枯れたらおしまい。けれども神様にお縋りさせて頂いたら殺しやしなさらん、枯らさしなさらん。ただ力を与えたいばっかり、そういう時に、もう水気のみの字も無い時に一生懸命「 」その時に力を受けるんですねえ。どうぞどうぞ、それこそ雨乞いをするような気持でここにお湿りが一つ欲しいときであるというて神様にお願いしてもお湿りを頂かなかった。神様はどうした事じゃろうかと思うような事がある。私共が難儀な時に、どうぞ神様おかげ頂かして下さい。お金に不自由いたしとります、物に不自由いたしとります。こういう様々な難儀がございます。この難儀の中からおかげ頂かして下さいというてからお願いをするけれども神様は聞きござるのやら、聞きござるのやら、聞きござらんのやら分からん様に、その事に受け答えを下さらない時がある。けれども後々、言わば収穫をしてみて初めて成程こういう力を与えて下さる為であった、こういうおかげを下さる為であったという事が分かる。これは私共のほんなら二十年前当たりの事を思うてもらうと分かるのです。願えども願えども願い、自分の思い通りには決してならなかった。そして今から思うとその時分に私共は枯死寸前ではありましたけれども、根の働きというか、根の白根というか、白根は、こういよいよ大地に根を降ろしておった訳です。そして現在、このおかげがあるという事を思うのです。あの当時願い思い通りのおかげ頂いとったら決して合楽は開けとりません。ねえ、お互いがここんところの道理を分からにゃいかん。ね、言いたい事があるけども、さあそこんところを辛抱させて頂いて金光様金光様と辛抱さしておる内にです、「 」がある。ねえ、玉垣に金の棒が、金の棒が皆とらえておるというのは戦時中に金という金は全部献納されましたですねえ。所謂お宮さんの玉垣口の金まで献納致しました。これは非常時の時である。普通はいたしませんねえ。「 」非常時の時に金を全部縁みどりの悪いとか、そんな事は問題ではない。お国の為にお国の為にというて献納したねえ、そして家の嫁にもあんな反面があったじゃろうかと思うて心が暗うなった。いわば人の足元が見える時、うちの息子が家の嫁が誰々さんがと人の非が見える時、時にはいよいよ自分の平静心というものが欠いておる時だと知らにゃいかん。自分の心が豊かで平常心を頂いておる時には少々皮肉を言われても、それが有難くさえ響いてくる事がある。けれどもそれではなくても、ただ嫁が何にもその事に対して言わじゃったという事が腹が立ってたまらん。一口言うてくれりゃいいのに、これは自分の心が平常を欠いでおる時、平常心を欠いでおる時。ねえ、ですから人の足元が見える時にはよくありますよ。あーしてくれればよいのに、こうもしてくれればいいのに、ここにこう一口言う援助してくれればいいのにという様な風にです、自分ではなくて人が見える時には、いよいよ自分の平常心を欠いておる時で非常時非常時の時であるから、ねえ、そこんところを本気になって「 」が必要である。所謂お取次を頂くという事が大事である。神様穏やかじゃございません。私が今、所謂普通じゃありません。平常心を欠いております、とお取次を頂かしてころにです、平常心を取り戻す事がでける。ねえ、そして嫁ではなかった、誰ではなかった、結局自分自身の心の貧しさ心のいわば破れから、いわば人の非が見えておっただけの事。ねえ、心が破れてなかったらそげな事は見えんです。そういう様な頂き方なんです。万物を見て道理に合う信心、縋っても願ってもそれこそ血の涙の出る様な思いをする様な時でも、じいーっと辛抱。今こそ白根を張らなければならない時、今こそ大収穫の原点であると思わしてもろうておかげを頂いていかにゃならん。ねえ、今こそこういう自分の心の貧しさの心の貧しい、この貧しい心を豊かに頂かして頂く為にお取次を頂いていよいよ信心の稽古に励まなければならん。自分ではなくて人の僻みが見える時には、いよいよ非常時な時であるから点検しなければならない。お取次を頂いていよいよ願ってもいかなければならないという御理解なんです。もうそれを頂かれた、そのお婆ちゃんがねえ、親先生もう信心を頂いておる事はなんと有難い事じゃろうかと言うて涙流された。もし私共に信心がなかったらです、もう本当にこういう時に嫁姑の中にいよいよ大きな溝がでけることじゃろうと思います。信心を頂いておるおかげでです、ここにこう一口親先生の御理解を頂かしてもらうとこげんもすっきりする、こげんも次には有難うなれる。もう帰らせて頂いたら嫁に早速詫びを言いますと言うて帰られた。私はそういう生き方そういう頂き方、そこに私は心の光というものがいよいよ頂けてくる。心の力というものが頂けてくる。ねえ、今日の報徳祭参拝の四十何名の者が合楽からおかげを頂きまして只御本部参拝というのじゃなくて本当に私共は桂松平大先生の御意志を奉体してねえ、その何万分の一からではあろうけれども、それをこうして行じさして頂いておるという事は有難い。九州の道の者として当然の事、当たり前の事。これをいよいよ世界万国に広めんと、いよいよこの有難いものを一人でも多くの人に伝えさせて頂いて、その徳のお祭にあわせて頂く。その御比礼を頂いて、ここに十六日に、十八日にその報徳祭がある、行なわれる。ねえ、同時に只今申しました様に 途中切れです。